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執筆者の写真さびら 株式会社

敵味方関係なく一人ひとりの命を追悼する慰霊碑「平和の礎」(沖縄県平和祈念公園内)

更新日:10月9日

こんにちは!株式会社さびらのゆまです!


株式会社さびらが行っている平和学習ツアーで、よく訪れる場所を紹介するコーナー。

今日は糸満市摩文仁にある「平和の礎(いしじ)」をご紹介します。


(沖縄県糸満市摩文仁にて(2021年6月23日 慰霊の日 日の出))

 

平和の礎とは?

「平和の礎(いしじ)」とは、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して戦没者の氏名を刻銘し、慰霊するとともに恒久平和を願い戦争の悲惨さを後世へ伝える目的で建設された記念碑です。糸満市摩文仁にある平和祈念公園内にあり、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名が刻まれています。


ただし、沖縄県出身者については、県遺族会の要望で1931年9月の満州事変以降の戦没者が刻銘されています。沖縄出身者以外は沖縄戦(米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日から降伏文書に調印した同年9月7日まで)で戦死した日米英の兵士のほか、台湾、韓国、北朝鮮から連行され、氏名が判明した死没者も刻銘されています。令和4年度時点で24万1686人が刻銘されています。


ちなみに「いしじ」と呼んでいるのは、ウチナーグチで建物の基礎を意味する礎(いしずえ)を「いしじ」と発音することに由来しています。「平和のいしずえ」となるように、という希望を込めて名付けられました。 ※平和の礎は慰霊碑ではないそうです。

平和祈念公園内 平和の礎
平和の礎

 

1,平和の礎の基本理念


平和の礎は、3つの基本理念を掲げています。 平和祈念資料館と平和の礎の二つセットで意味を成してます。


①「戦没者の追悼と平和祈念」

去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和を享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。


②「戦争体験の教訓の継承」

沖縄は第二次世界大戦において、住民を巻き込んだ地上戦の場となり、多くの尊い人命とかけがえのない文化遺産を失った。このような悲惨な戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に正しく継承していく。


③「安らぎと学びの場」

戦没者の氏名を刻銘した記念碑のみの建設にとどめず、造形物を配して芸術性を付与し、訪れる者に平和の尊さを感じさせ、安らぎと憩いをもたらす場とする。また、子供たちに平和についての関心を抱かせるような平和学習の場としての形成を目指す。


平和の礎がある糸満市摩文仁一帯は沖縄戦の激戦地で、軍隊と住民が混在する中で激しい戦闘が行われ、多くの方が亡くなった場所です。そんな歴史を持つ場所に上記の理念を込めた「平和の礎」を建設することによって、かつてこの島で起こった悲惨な出来事を伝え、二度と繰り返さないという強い思いが込められています。


 

2,平和の礎の紹介


平和の広場


平和の礎は、主に「平和の広場」「刻銘碑」「メイン園路」という3つエリアに分かれて構成されています。 園内の海側にある「平和の広場」は、海岸線を眺望できる位置に設置されています。この広場の中央には「平和の火」が灯されています。この平和の火は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を灯し続けています。灯されている火の種火は、平和の広場の地下に大事に保存しているそうです。


 

世界に向けて平和の波となり、広がるように


刻銘碑は、平和の広場を中心にして放射状に円弧の形で広がりをもって配置されています。これは沖縄戦の「鉄の暴風」が生み出した波濤が、世界に向けて平和の波となって、わだつみに折り返して広がって行くのを願って作られています。

平和祈念公園内(平和の広場)


 

今なお、名前を刻み続ける刻銘版


平和の広場に向かってメイン園路の左側が沖縄出身者、右側が他都道府県出身者、右手のサブ園路の奥側が外国出身者の刻銘ゾーンとなっています。沖縄県については、戦没者の数が多いことから、市町村別、字別に刻銘しています。


県内出身者は、名前がわからない場合でも「○○の次男」「○○の妻」といった形で刻銘をしています。これは戦後長い期間が経過したために亡くなった方の名前が判明しない場合があること、沖縄戦で戸籍簿が全て消失したことが大きな原因となっています。しかし、それでも刻銘を行ったのは、名前の分かっている方との続柄などを表示することで、名前は分からずともその方々が生きておられた証となって残り続けるため、という思いで刻印を行ったそうです。


なお、現在でも新たに判明した戦没者や遺族・関係者から申請のあった戦没者の追加刻銘受付は沖縄県によって続けられており、毎年6月に合わせて刻銘作業が行われています。


平和の礎刻銘者数

また、追加刻銘していくことから平和の礎は未完成であり、沖縄戦の風化させないという強い思いも込められています。

2021年6月16日 琉球新報「平和の礎に41人追加刻銘 総数24万1632人」 「平和の礎」刻銘数一覧 沖縄県ホームページより https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/7623.html

沖縄県平和祈念公園(平和のひろば)

メイン園路の中心線は、沖縄戦の組織的な戦闘が終了した6月23日の「慰霊の日」における日の出の方位に合わせて設定されています。

ちなみに総事業費は17億7876万5000円です。

 

世界的にも珍しい慰霊碑(戦没者を敵味方関係なく刻んだ刻銘版)〜沖縄から平和を発信する〜

1994年当時の太田昌秀沖縄県知事(故人)を中心に沖縄県内外約1万人が協力し、総事業費17億7876万5000円をかけて作られたのが平和の礎です。名前が刻まれた戦争関連の慰霊碑や刻銘版は、軍隊や市民など属性ごとに分けられる場合がほとんどです。しかし、沖縄県の戦没者24万人の名前が刻まれた刻銘版は、軍人も市民も敵味方関係なく、1人1人が亡くなった証(生きた証)として平等に刻まれています。賛否両論ありましたが、様々な"対話"をもたらし、戦争の実相を資料館とともに後世伝え、反戦平和への強い意志を表しています。


 

参考資料

 

沖縄県平和祈念公園にて

ガイドやガイド体験プログラムを実施中


平和の礎で行うフィールドワークでは、沖縄戦をどのように残し伝えていくのか。また同じく敷地内にある国立沖縄戦没者墓苑と慰霊の在り方を比べ、「今、私たちはどう沖縄戦を捉えているのか」また、「今後、沖縄戦をどう遺すべきか」を考えるプログラムを提供しています。


その他にも株式会社さびらでは、沖縄戦や基地問題について考えるワークショップやガイドなどの平和学習プログラムを提供しています。





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