たどる記憶 つなぐ平和 #9「渡嘉敷島の集団自決 当時1歳の男性が語る継承への想い」

皆さん、こんにちは。さびらの野添です。
去る3月22日に、半年ぶりの渡嘉敷島へ行ってきました!
今回はさびらのメンバーだけではなく、90年代生まれが個人的な体験からつづるコラムプロジェクト「あなたの沖縄」代表の西さん含めたチームの皆さんと合同で、平和学習ツアーを行いました。
今回、合同で勉強会を行うことになった経緯は、「あなたの沖縄」が2月末に主催したトークイベントにさかのぼります。
弊社の狩俣から、渡嘉敷島の集団自決を生き延びた富里常男さんの話を紹介したところ、西さんのおばあさんも同様に集団自決から生き延びた経験があることが分かり、改めて「渡嘉敷島の沖縄戦」について共に学ぼう、とツアーを計画しました。

富里常男さんの戦争体験
渡嘉敷島に到着すると、常男さんが温かく出迎えてくれて、ご自宅にお邪魔して常男さんの戦争体験をお聞きしました。
(※富里常男さんの戦争体験については、下記の過去記事をご覧ください)https://www.savira.co.jp/post/tokashikijimafieldworkpeace2024

渡嘉敷島の沖縄戦
富里さんのお話を聞いたあとは、渡嘉敷島に残る戦跡を一つひとつ常男さんの案内を聞きながら巡るフィールドワークを行いました。

「今こうして歩いてる道は、慰霊碑を建てるために整備されたものだけど、それ以外は戦時中と山の景色と何も変わらないよ」と話す常男さん。
渡嘉敷島で集団自決があったのは、1945年3月28日。私たちが訪れたのは3月22日なので、おおよそ80年前と同じような時期になります。
山に成る木の実の匂いや、肌にあたる風の冷たさなど、80年前にこの場所に集まった人たちも、同じような感覚を感じていたのかと思うと、より一層当時を想像しながら話を聞くことが出来ました。

実は今回、2歳になる息子も一緒に渡嘉敷島へ連れて行きました。
ようやく三語文つなげて話せるようになったぐらいですが、話していることは大体理解出来ている様子。だとしたら、今の彼よりも小さい頃に戦争を体験した常男さんの話を、直接聞かせたい。
今は理解できないかもしれないけど、現地の空気感や体験者のお話を直接聞くことで、今後彼が成長していく中で親子で話ができるといいな、と思い同行させました。
常男さんは、息子をあやしながら「じーじーは、君より小さい時にこのあたりで倒れていたんだよ〜」と、子供の目線に立ちながら現地を指差しながらお話をしてくれ、とても有り難く感じました。

「連れていきたいところがある」と、常男さんの跡をついていくと、この景色!
この場所は「西展望台」と呼ばれ、慶良間諸島が見渡せます。
半年前にも訪れたのですが、雨天のため10m先も見えず…(笑)。この日は天気に恵まれ、慶良間諸島より先にある久米島まで見ることが出来ました!

今回のツアーには、県内メディアの沖縄タイムスさん、琉球朝日放送(QAB)さんにもご同行いただきました。
沖縄タイムスさんでは、翌日23日の一面で取り上げていただきました!
QABさんは、近日ニュース番組内で放送があるかと思います。
過去の戦争から何を学ぶのか
常男さんは、お話の中で何度も「過去の戦争体験を学ぶだけでは足りない。その学びから必ず今の社会に目を移すことが大切だ」ということをおっしゃっていました。
「戦争は明日突然やってくるものではない。社会の動き、地域の動き、日常が少しずつ変化していき、準備が整った時にやってくる。そうした変化や違和感を感じるアンテナを育てるための、平和学習が必要だ」とも。
過去の歴史から何を学び、未来を作っていく私たちは何を考え、どう行動に移せばいいのか。決して遠い出来事ではない沖縄戦の記憶から、私たちが学び取ることは何なのか。戦後80年を迎える今年はより一層そうした思いを抱きながら、平和学習の現場に当たりたいと思います。

今週28日には、渡嘉敷島にて集団自決の慰霊祭が行われます。
ぜひ、足を運ばれてみてください。
※本記事(富里さんに関する内容・写真)の無断掲載はご遠慮ください。
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